一、縄文時代から弥生時代における不定形石器の変遷

―岡山県百間川遺跡群出土資料を中心として―

広島大学 磯田あゆみ

 岡山県南部では、原産地と近いという特性からサヌカイトを使用した打製石器製作が行われており、弥生時代まで継続する。発表者は縄文時代から弥生時代にみられる打製石器の中で、製作・使用目的に不明点が多い不定形石器に着目する。不定形石器が使用される縄文時代から弥生時代では、主要な生業が狩猟採集から農耕になり、弥生時代においても農耕社会での変化や鉄器の普及による石器の減少など、石器利用に関係する変化があったと考えられる。しかし、不定形石器の通時的な分析は行われてこなかった。

 以上のことから、本発表では縄文時代後晩期の不定形石器のライフサイクルの復元を行い、弥生時代との比較を行う。また、弥生時代での変化があるのかを確認するために弥生時代を前期・中期・後期に分け、同じ視点で分析・比較を行い、縄文時代から弥生時代における不定形石器のライフサイクルの変化とその背景を考察する。

 

 

二、備後地域における横穴式石室の地域性

神石高原町荒神原北古墳の測量調査を通じて

広島大学 磯田あゆみ

広島大学 田代あい

 広島県神石高原町内の旧三和町地域には、一九九八年時点で四〇基程度の無袖横穴式石室が存在したとされる。しかし、詳細な調査はほとんど行われず、失われてしまったものも少なくない。広島大学考古学研究室は二〇二〇年度より、無袖横穴式石室の測量調査や出土・表採遺物の資料紹介を行ってきた。一連の調査により、石室の構築年代がおおよそ六世紀後半から七世紀前半に位置づけられることが明らかになった。また、石室の構築方法や奥壁形態から複数のグループに分けられることを確認した。

 本発表では、昨年度測量調査を行った神石高原町荒神原北古墳の報告を行う。加えて、対象地域を備後地域まで広げ、横穴式石室の構築方法と奥壁形態を検討する。これらの中でも、類似する形態の石室のみられる範囲を明らかにし、神石高原町内の石室形態グループと類似する横穴式石室の分布域を確認する。

 

 

三、広島市出土遺物にみられる被爆痕跡の研究

―屋根瓦を中心として―

広島大学 山崎瑞季

 被爆時の広島市における被災状況は、主に文献や映像から復元されてきた。一方、爆心地周辺に関しての記録や証言は乏しい。また、表採資料を中心とした検討が行われてはいるが、分析視点が限られ、様相の解明には限界があった。そうしたなか、近年爆心地付近での発掘調査により、被爆面直上およびその上層から被爆痕跡を有する出土資料が蓄積されつつある。

 本発表では、出土資料のうち屋根瓦を対象とし、出土層位や位置、共伴遺物などの出土状況を検討しながら被熱・熔融などの損壊状態を整理した。その結果、熱線による熔融痕跡や火災旋風の発生を示唆する被熱痕跡が認められた。また、熔融痕跡は形状により分類でき、爆心地からの距離との対応がみられたことから、分類の妥当性が確認できた。さらに、一つの瓦にみられる熔融の偏りに着目し、熱線の入射角と爆心高度を推定した。これらの成果から、被爆痕跡を解釈する際の新たな視点と基準が得られたといえる。

 

 

四、三次市花園墳墓群出土弥生土器の研究

広島史学研究会会員 村田晋

 花園墳墓群は方形貼石墳丘墓(第一・二号台状墓)や区画溝を伴う木棺墓・石棺墓群(A~F墓域)等から成る、弥生時代の墳墓群である。確認された墓坑は数百基と多数に上り、中国地方山間部でも屈指の密度となる。備後北部地域で弥生墳丘墓の調査事例が蓄積した現在でもなお、異彩を放つ墳墓群といえる。

 墳墓群の評価にあたって問題となるのは、調査成果の公表が不十分なことである。概報程度の記述以外に情報がないために、その重要性について誰もが認めながらも、研究対象とはなりづらい状況にある。出土遺物、特に土器に関する記述は少なく、具体的な存続期間という基本的な情報さえ不足している。

 こうした問題意識の下、まずは未公表となってきた出土弥生土器の整理、実測図化及び写真撮影を行った。作業を通じて得られた土器の型式的特徴等の諸点に関する知見を基に、墳墓群を評価する。

 

 

五、庄原市木戸町中大平古墳の再整理(中間)報告

安芸高田市文化振興事業団 山田繁樹

広島県教区事業団埋蔵文化座調査室 山川聡大

中大平古墳は昭和47年に種豚場建設のため当該地域を造成中に発見された横穴式石室を埋葬施設とする古墳であった。広島県教育委員会により緊急調査が実施されものの報告書は未刊行で、『日本考古学年報25 1972年版 日本考古学協会』で簡単な報告がされているのみである。

出土した遺物は装飾品(玉類)・鉄器・須恵器などであるが、床面上に完形品の蓋杯を並べている(土器床)として文章で紹介されているものの、その内容については不明であった。

土器床は県北部の後期古墳で確認されている棺床の形態で、地域的な特徴といえる埋葬形態である。玄室内の遺存状況が良く、出土している遺物の量が豊富で土器床がみられる横穴式石室墳として貴重な調査例であることから、本報告を行うため再整理に着手したので、遺物の出土状況や石室の状況などの中間報告を行う。

 

 

六、古墳時代後期須恵器の地域色に関する研究

―広島県北部出土の高杯を中心に―

広島県教育事業団埋蔵文化財調査室 山川聡大

 広島県の須恵器編年は長年陶邑編年が援用されている。古墳や集落等の発掘調査は盛んに行われてきたものの窯跡の調査が少ない当県では、遺跡の時期決定の有益な材料として用いられてきた。しかし、県内各地域の須恵器を陶邑編年という画一的なものさしで評価をしてきたため、陶邑編年との型式的特徴の相違や地域色の有無について検討が低調である。近年の須恵器研究において、地方窯では陶邑編年に当てはまらない地域独自の器形や要素があることが指摘されており、地域ごとの編年案の構築・提示が急務となっている。

 そこで本報告では、須恵器の中でも型式的特徴の見出しやすい高杯を対象に属性分類を行い、同時に地域色の有無について分析を行う。時期は地方窯が発達し地域色が発現しやすいと考えられる古墳時代後期とし、対象地域は調査事例が多く資料が豊富な広島県北部を中心に検討を行う。

 

 

七、  呉海軍工廠砲熕部火工品機械工場跡の発掘調査成果について

呉市文化スポーツ部文化振興課 荒平悠

現在,海上保安大学校が位置する池濱地区一帯は明治期に海軍用地として買収され,埋立拡充を繰り返しながら海軍工廠施設群が設置されていた場所である。

そうした中で,呉海軍工廠砲熕部火工品機械工場は昭和6年に信管組立工場として竣工した火工品機械工場である。戦禍を免れ,戦後は海上保安大学校学生寮として活用され,昭和54年に解体されたものの,地中に埋設された基礎柱や土間コンクリートに加え,大型機械工作物の台座等の構造物が残存していた。

その他,建物の建築部材や機械工作物の部品に加え,火工品機械工場内にて製造されたとみられる機銃砲薬莢の製造工程が分かる資料が出土しており,工場内での作業工程や池濱地区一帯における近隣施設との関連性について考察する機会を得ることができた。